三浦春馬氏が亡くなってしまってから、オタクの心は穏やかでなかった
誰が見たってカッコいいじゃん
キラキラしてて爽やかで、歌もダンスもできる、歳を重ねて渋みと色気も醸し出しつつ
その反面で、バラエティに出ると自己肯定感の低そうなジメっとした面とか真面目で不器用そうなところがチラチラ見えて
そういうギャップが好きだった
テレビを惰性で見てたら、たまに三浦春馬が出ていたりして、「あーー三浦春馬は今日も顔がいい~~(^ω^)」とかSNSに書き込みながらゴロゴロする・・・
みたいなことが今までの生活で何度もあったから
特別追っかけていたわけではないにしろ、いて当たり前の存在の、テレビの向こうの眩しい人が
「自死」を選んだことがとてもショックで、心がズンと重かった
彼のような才能あふれる人がそうするなら、自分みたいな人間がなんで生きてるんだ・・・?とか、そういうことを夜な夜な考えたりもした
オタクをしていると、推しのスキャンダル(熱愛・結婚・事件)や活休・引退は必ずといっていいほど通る道だけれども
推しの「死」なんて、まともに考えたことがなかった
考えたくは、ないけどね
生きていてくれればなんでもいいじゃないか、と悟りに至るきっかけとなった
引退したって、解散したって、地球のどこかで元気に暮らしているなら、それだけで十分じゃないか!!!と
そして、好きという気持ちを伝えられるうちに伝えておかないといけない
作品の感想や、ただただ可愛い・かっこいいとか、色々思うことはあっても
いやキモいのでは??!!クソリプすぎんか??!!等々考えてついつい手が止まってしまうことがあるけれど
伝えられるうちに、というのは本当に、そう思う
推しだけじゃなく、日常生活の自分のまわりの大切なひとにも。
自分の大事なひとをたくさん褒めて、できれば自分のこともちゃんと褒めてあげたい
悲しいニュースに引っ張られないよう、しっかりしないといけない
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